
明治時代に戸籍制度が導入されて以来、法改正のたびに様式が見直され、現在の戸籍へと受け継がれてきました。特に敗戦後は、国の仕組みや家族制度が大きく改められ、戦前とは全く異なる戸籍制度が生まれ、今日まで続いています。
令和の時代となった現在、60歳以上の方が亡くなった場合には、出生まで遡ると旧法戸籍に記載されている可能性が高く、そのため旧法戸籍を正しく理解し読み解くことが欠かせません。
この記事では、明治19年式から大正4年式までの旧法戸籍の種類や特徴、そして読み方のポイントを解説します。相続人調査や戸籍謄本の収集に役立つ知識を身につけていただけるでしょう。
- 📜戦前の家族制度と戸籍の基本
- 🏠戦前の戸籍と家制度の仕組み
- 📖戦前の戸籍に出てくる主な用語
- 👥戸籍に出てくる特殊な続柄(代表例)
- ✍️戸籍に出てくる特殊な文字(大字・旧字)
- 🗓️大正4年式戸籍のポイント
- 🗓️明治31年式戸籍のポイント
- 🗓️明治19年式戸籍のポイント
- 戦前の戸籍は「家」を基本単位とし、戸主を中心に家族や親族が入籍していた。
- 当時の戸籍には、現在では使われない続柄や身分の区別、独特の用語が多く用いれられていた。
- 戸籍の様式は、明治19年式・明治31年式・大正4年式・昭和23年式と、法改正のたびに変化してきた。
- 古い戸籍が廃棄や消失している場合でも、廃棄証明・焼失証明、戸籍の附票などの代替資料で補うことができる。
📜戦前の家族制度と戸籍の基本
現代の戸籍は、「夫婦とその姓を同じくする子」を基本単位としています。これに対して戦前はまったく異なり、「家」を単位とする家制度がとられていました。戸籍もこの家制度を基盤に編製されており、家の中心には必ず戸主(こしゅ)がいました。戸主は一家の代表者として権利と義務を持ち、家族を統率するとともに、財産や家名を引き継ぐ役割を担っていました。そのため、戦前の戸籍を読み解くには、この家制度を理解することが不可欠となっています。
🏠戦前の戸籍と家制度の仕組み
現代の家族はすべて平等な立場です。戸籍の筆頭者は便宜上の代表にすぎず、権利的な優位性はありません。
これに対して、戦前の旧法では「家」を基本単位とし、その中心に戸主(こしゅ)が置かれていました。戸主は家族を代表して強い権限を持ち、財産の管理や婚姻の承認など、家のすべてを統率する立場でした。
戸主が死亡すると、家督相続(かとくそうぞく)という制度で次の後継者が決まり、戸主となりました。原則として長男が新しい戸主を継ぎます。(家の事情により例外もありました。)

戦前の本家と分家の関係
本家と分家の関係
・「家督相続」により本家は長男が継ぎます。(通常)
・長男以外の男子(次男・三男など)は、婚姻前は戸主の家に属します。
・長男以外の男子(次男・三男など)は、婚姻などを機に新しい戸籍を編製し、「分家」の戸主となります。
分家の財産
・分家したからといって自動的に本家の財産を分けてもらえるわけではありません。
・基本的に家督財産は本家に集中し、弟は財産を持たずに分家するのが一般的でした。
・ただし、生活の基盤を整えるために、本家から「分家資産」として田畑や持参金などを分与されることはありました。
戦前と現代の戸籍制度の違い
| 項目 | 現代の戸籍 | 戦前(旧法戸籍・家制度) |
|---|---|---|
| 基本単位 | 夫婦とその姓を同じくする子 | 「家」を単位とする |
| 中心人物 | 筆頭者(形式的代表) | 戸主(家の権利義務を持つ代表) |
| 戸籍の変動 | 婚姻・離婚・転籍などで編製 | 戸主の死亡・隠居による家督相続などで編製 |
| 家族の位置づけ | 全員平等 | 戸主と家族に上下関係あり |
📖戦前の戸籍に出てくる主な用語
・戸主(こしゅ)
「家」の代表者。強い権限を持ち、家族の財産管理や婚姻の同意などを行った。戸籍の中心人物。
・隠居(いんきょ)
戸主が存命中に後継者へ地位を譲ること。隠居すると家督相続が発生し、新しい戸主の戸籍が編製される。隠居した本人は、新戸主の戸籍に「父」として入籍する。
・家督相続(かとくそうぞく)
戸主の地位や家の財産を引き継ぐ制度。原則として長男が継承するが、戸主の意向や親族会の合意によって別の者が選ばれることもあった。
・分家(ぶんけ)
戸主の子や弟などが独立して新しい戸籍を作ること。分家した者は新しい「戸主」となるが、本家の財産を必ずしも継げるわけではなかった。
・婦(ふ)
戸主以外の男子に嫁いできた妻を指す。たとえば、戸主の長男の妻は「婦」と記載される。
・養子縁組(ようしえんぐみ)
血縁関係のない者を家に迎え入れ、戸主の子として記録する制度。跡継ぎがいない場合などに多く利用された。
・廃嫡(はいちゃく)
戸主が遺言などで嫡出子の家督相続権を奪うこと。素行不良などを理由に長男を廃嫡し、次男や養子を後継にすることもあった。
・庶子(しょし)
父が認知した嫡出でない子(婚姻関係にない男女の子)。戦前の戸籍では、嫡出子と区別して記載された。
👥戸籍に出てくる特殊な続柄(代表例)
父母世代に関するもの
継母(けいぼ) … 実母や養母でない、父が再婚した場合の妻
継父(けいふ) … 実父や養父でない、母が再婚した場合の夫
義母(ぎぼ)/義父(ぎふ) … 婚姻によって生じる配偶者の父母
叔父(おじ) … 父または母の弟
叔母(おば) … 父または母の妹
伯父(おじ) … 父または母の兄
伯母(おば) … 父または母の姉
従弟(じゅうてい) … いとこのうち、男子で自分より年下の者
従妹(じゅうまい) … いとこのうち、女子で自分より年下の者
従兄(じゅうけい) … いとこの男子で自分より年上
従姉(じゅうし) … いとこの女子で自分より年上
養父(ようふ) … 養子縁組によって「父」となった人
養母(ようぼ) … 養子縁組によって「母」となった人
養子(ようし) … 養子縁組で迎え入れられた男子
養女(ようじょ) … 養子縁組で迎え入れられた女子
✍️戸籍に出てくる特殊な文字(大字・旧字)
壱(いち) … 1
弐(に) … 2
参(さん) … 3
拾(じゅう) … 10
廿(にじゅう) … 20
🗓️大正4年式戸籍のポイント
戦前の戸籍は「家」を基本単位とし、その中心に戸主(こしゅ)が置かれました。戸主は家族を代表し、財産管理や婚姻の承認など強い権限を持っていました。戸主が死亡または隠居すると、家督相続によって次の戸主が決まり、新しい戸籍が編製されるのが特徴です。
また、大正4年式戸籍では、家族の身分や続柄の表記が細かく規定されました。たとえば、嫡出子と庶子の区別、養子や養女、さらには「婦(ふ)」といった現代では使われない続柄も明確に記載されました。これにより、現代の戸籍よりも相続や家族関係の序列が色濃く反映されているのが特徴です。
大正4年式戸籍の特徴
大正4年式の戸籍は、戸主を中心に、その親や妻の親、兄弟姉妹、妻、子、孫、いとこなど、幅広い親族が同じ戸籍に記載される仕組みでした。
そのため、1つの戸籍に20名から30名程度が記載されるのが一般的で、場合によってはさらに多くの人数が含まれることもありました。記載される人数が多い分、戸籍の用紙も通常3枚から5枚ほどに及びます。このように、多人数を一つにまとめて記録する点は、戦前の戸籍に共通する特徴です。
・前戸主の欄がある。(②)
・戸主の欄には前戸主との続柄欄がある。(③)
・戸主欄の上部には、身分事項と戸籍事項が混在して記載されている。(④)
この戸籍でわかること
・この戸籍は、閉鎖された除籍戸籍です。(①)
・前戸主は源田喜助です。(②)
・戸主は前戸主の養子です。(③)
・戸主源田庄吉は、前戸主と養子縁組をして入籍した。(⑤)
・昭和五年九月拾日に前戸主源田喜助が死亡し、家督相続があった。(⑥)
・埼玉縣川越市大字川越無番地より、転籍により、昭和7年11月1日にこの戸籍が編製された。(⑦)
・戸主源田庄吉は、熊谷タカと婚姻した。(⑧)
・東京府南葛飾郡亀戸町壱番地弐に転籍し、昭和15年10月1日にこの戸籍が消除(閉鎖)された。(⑨)
・熊谷タカ、昭和7年2月20日、婚姻により入籍する。(⑩)
・この戸籍の編製以前に、源田新一が出生し入籍した。(⑪)
除籍(じょせき)
戸籍に記載されていた人が死亡や婚姻、転籍などにより戸籍から外れること、または戸籍に記載された全員が抜けて戸籍が閉鎖された状態のことをいいます。
家族関係
戸主:源田庄吉
養父:源田喜助
妻:源田タカ
長男:源田新一
その他:省略
この戸籍が効力を有していた期間
戸主欄の上部には、身分事項と戸籍事項が混在して記載されています。ここには、戸籍編製前の戸主に関する身分事項が、従前の戸籍から移記されています。⑤の養子縁組、⑥の家督相続は、この戸籍が編製される前に生じた事項であり、この戸籍の有効期間内で起こった出来事ではありません。戸籍の効力が始まった時期読み取る際に混同しやすいため、特に注意が必要です。
・転籍により、昭和7年11月1日にこの戸籍が編製された。(⑦)
・転籍し、昭和15年10月1日にこの戸籍が消除(閉鎖)された。(⑨)
この戸籍の効力を有していた期間は、昭和7年11月1日~昭和15年10月1日
この戸籍の前の戸籍は
戸主欄の上部には、身分事項と戸籍事項が混在して記載されているため分かりにくいですが、その中から戸籍の編製事由を確認する必要があります。
ひとつひとつ読み解いていくと、この戸籍の前の本籍地は「埼玉縣川越市大字川越無番地」であったことが分かります。
なお、この戸籍の編製原因は「転籍」であるため、前の戸籍の戸主はこの戸籍と同じく「源田庄吉」となります。
熊谷タカの婚姻前の戸籍は、戸主「川濱正勝」、本籍地「東京市深川区柳川町無番地」であることが分かります。(⑩)
🗓️明治31年式戸籍のポイント
導入背景:明治19年式戸籍の運用で生じた不備や混乱を改善するため、新しい様式の戸籍が導入されました。家制度の強化や続柄の明確化が進められています。
戸籍の単位:
「家」を基本単位とし、戸主(こしゅ)が中心でした。戸主は家族を統率し、財産管理や婚姻の同意など幅広い権限を持っていました。(戦前の戸籍に共通する特徴です。)
明治31年式戸籍の特徴
明治31年式の戸籍は、戸主を中心に、その親や妻の親、兄弟姉妹、妻、子、孫、いとこなど、幅広い親族が同じ戸籍に記載される仕組みでした。
そのため、1つの戸籍に20名から30名程度が入っているのが一般的で、場合によってはさらに多くの人数が含まれることもありました。記録する人数が多い分、戸籍の用紙も3枚から5枚ほどに及ぶのが通常でした。このように、多人数を一つにまとめて記録する点は、戦前の戸籍に共通する特徴です。
・前戸主の欄がある。(②)
・戸主の欄には前戸主との続柄欄がある。(③)
・戸主ト為リタル原因及ビ年月日欄がある。(④)
・家族トノ続柄欄がある。(⑤)
・戸主欄の上部には、身分事項と戸籍事項が混在して記載されている。(⑥)
この戸籍でわかること
・この戸籍は、閉鎖された除籍戸籍です。(①)
・前戸主は伊藤正一郎です。(②)
・戸主は前戸主の養子です。(③)
・戸主伊藤孫一は、前戸主伊藤正一郎の隠居により、大正3年1月24日戸主になる。(④)
・明治36年10月4日、伊藤孫一が入籍する。(⑦)
・大正10年8月21日、伊藤孫一は、井上きくと婚姻。(⑧)
・昭和17年3月30日、青森縣上北郡奥瀬村大字栃久保四番地に転籍。(⑨)
・伊藤正一郎、文久2年9月17日相続、戸主になる。(⑩)
・伊藤正一郎、大正3年1月14日隠居する。(⑪)
・伊藤正一郎、大正3年9月24日死亡する。(⑫)
・井上きく、大正10年8月21日、婚姻により入籍する。(⑬)
・伊藤きく、大正13年8月21日、死亡した。(⑭)
・伊藤あん、この戸籍の効力有する期間中に身分上の変動がなかった。(⑮)
・伊藤清浜、大正8年3月20日、石原きんと婚姻する。(⑯)
家族関係
戸主:伊藤孫一
養父:伊藤正一郎
妻:伊藤きく
長女:伊藤あん
長男:伊藤清浜
その他:省略
この戸籍が効力を有していた期間
戸主欄の上部には、身分事項と戸籍事項が混在して記載されています(⑥)。ここに「転籍」や「戸籍改製」といった戸籍の編製事由が記載されている場合、その日付がこの戸籍の編製日となります。 一方で、その記載がない場合には、「戸主ト為リタル原因及ビ年月日」欄(④)に記載された原因と年月日が、戸籍の編製事由および編製日として扱われます。
・⑥に戸籍の編製事由が見当たらない。
・大正3年1月14日、前戸主隠居により戸主となった。(編製日)(④)
・転籍し、昭和17年3月30日に全戸籍除籍(閉鎖)された。(⑨)
この戸籍の効力を有していた期間は、大正3年1月14日~昭和17年3月30日
この戸籍の前の戸籍は
・戸主欄の上部(⑥)に戸籍の編製事由の記載が見当たらないことから、「戸主ト為リタル原因及ビ年月日」欄(④)の記載内容が、この戸籍が編製された理由および年月日を示しています。
この戸籍には、原因として前戸主の隠居が記載されています。
つまり、この前の戸籍は、同じ本籍地で、前戸主「伊藤正一郎」が戸主だったことが分かります。
伊藤きくの婚姻前の戸籍は、戸主「井上泰輔」本籍地「青森縣下北郡僻鬼村大字熊大壱」です。(⑩)
🗓️明治19年式戸籍のポイント
導入背景:
明治政府は近代国家を目指し、国民を把握するために明治5年に戸籍制度を導入しました。しかし、初期の戸籍は、不備、誤記や差別的な身分表記も残されていました。これらを是正し、より実務に即した運用を行うために制定されたのが明治19年式戸籍です。日本の近代戸籍制度の基礎を整えた点で大きな意味を持ちますが、なお運用面の不備も多く、より厳格な規定を整えるために明治31年式戸籍へと改製されました。
戸籍の単位:
「家」を基本単位とし、戸主(こしゅ)が中心でした。戸主は家族を統率し、財産管理や婚姻の同意など幅広い権限を持っていました。(戦前の戸籍に共通する特徴です。)
明治19年式戸籍の特徴
明治19年式の戸籍は、戸主を中心に家族や親族を幅広く記載する仕組みでした。1つの戸籍に20名以上が記載されることも珍しくありませんでした。多人数を一つにまとめて記録する点は、戦前の戸籍に共通する特徴です。
ただし、明治31年式に比べると記載内容は簡略的で、用紙の枚数は比較的少なく、2枚から3枚程度に収まるのが一般的でした。
また、この時期の戸籍には「華族」「士族」「平民」といった身分事項が記載されており、当時の身分制度がそのまま反映されていました。なお、現在交付される戸籍謄本では、差別的とされる部分についてはマスキングされる扱いとなっています。
・手書きで読みにくく、文字が擦れや旧字体など、ほとんど解読不明な場合も多くあります。
・相続人が兄弟姉妹の場合には、この明治19年式まで遡る必要があることが多くあります。
・明治19年式まで遡る必要がある場合でも、ほとんど場合出生の確認をするだけで終わります。
この戸籍でわかること
戸主「飛鳥川勇」戸籍で、文久2年9月17日に相続で戸主になり、大正3年1月24日に隠居しました。(他の親族については省略します。)
この戸籍が効力を有していた期間
戸籍編製の時期は不明。
戸主欄の上部には、閉鎖事由とその年月日が記載されている。
大正3年1月24日に隠居届をしている。
この戸籍が効力を有していた期間は大正3年1月24日まで。
- 戦前の戸籍は「家」を基本単位とし、戸主を中心に家族や親族が入籍していた。
- 当時の戸籍には、現在では使われない続柄や身分の区別、独特の用語が多く用いれられていた。
- 戸籍の様式は、明治19年式・明治31年式・大正4年式・昭和23年式と、法改正のたびに変化してきた。
- 古い戸籍が廃棄や消失している場合でも、廃棄証明・焼失証明、戸籍の附票などの代替資料で補うことができる。
新井 秀之
行政書士/認定経営革新等支援機関/東京出入国在留管理局申請取次者/神奈川県行政書士会横浜中央支部相談員/コスモス成年後見サポートセンター相談委員
- 対応エリア:
- 神奈川県横浜市
- アクセス:
- 相鉄線 天王町駅 北口より徒歩10分
- 対応業務:
- 相続/遺言/遺言執行/成年後見/終活
この記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の事案に対する法的助言ではありません。具体的な手続きや判断については、必ず専門家にご相談ください。法改正や自治体の運用により情報が異なる場合がありますのでご注意ください。




























1965年に横浜市神奈川区で生まれ、東芝、リクルートでの企業勤務を経て、行政書士として独立いたしました。以来、「人生の最終章を支える」という使命を胸に、相続、遺言、成年後見、そして死後の諸手続きといった業務を中心に、数多くのご相談と向き合ってまいりました。...続きを読む